38≫ 9年間と11年間

第二いぶきが開所してまだ間もない頃、岐阜市の西郷にあるウコッケイの鶏がらを使ったラーメン屋さんが、第二いぶきの仲間たちにラーメンをふるまっていただいたことがあります。せっかくの機会だから、地域の方々に来てもらおうよ・・・・と出屋敷の皆さんに呼びかけたところ、確かご婦人方が6名ほど来ていただきました。今日、お葬式に出させていただいた笠井しげさん(享年81歳)も、その中におられた記憶があります。また、第二いぶきの初めてのなつまつり(大雨が降って、今のすばるとなごみを一部屋にしてやりました)にも、コラボいぶきの内覧会にも、来ていただいたと思います。直接お話しする機会もほとんどありませんでしたが、このたびの訃報を聞いた時、そんなことが一気に思い出されました。いずれも、地域の方は来てくれるのだろうか・・・と不安と期待を胸にしていた時に、ご友人方と連れ立ってきてくださったことが、当時の北川には、いまだ忘れられない本当にうれしかった出来事だったのでした。私たちは、9年間そうやって出屋敷の仲間に入れていただいてきました。そんなこともぜひ知っておいてください。散歩をするときの気持ちも少し違ってくるかもしれませんね。
 昨晩、偶然つけたテレビで、中国の梅林雪山で10年前に京都大学登山隊17人が遭難した日本史上最大の山岳事故のことが取り上げられていました。そこに参加しなかった登山部の一人が、当時、永遠に不可能といわれた遺体回収を、ひとりで10年間続けて、16人の遺体を見つけてきたそうです。小林さんという男性です。その小林さんが、残りの一人を探す場面にテレビが同行したのでした。北川がいぶきに入って11年が過ぎようとしています。その間のほとんどを、この人は仲間を探し続けていたんですね。彼の精神に強く心を打たれました。「あいつの遺体も、この人がこうやってみつけれくれたんだなあ・・・」と思いながら。17人の一人は、笹倉といいます。北川とは中学高校の同級生でした。小林さんのことは今まで知りませんでした。小林さんも38歳です。笹倉を介して、同級生の小林さんに感謝します。
【Collaboration2007 vol.38より】