1995年5月に「社会福祉法人いぶき福祉会いぶき開所祝賀会」が開かれました
会場はホテルパークみなと館
その時に上演された「構成詩」がこれです。
残しておいたメモが目に止まったので、ここに掲載することにしました。
原作は保護者のみなさん。
いぶきの書籍にも掲載されています。
いぶきに関係する方の中でも、初めて見る方もご存知の方もあると思います。
そんな中で、対話が始まるといいなと思います。
いのち
1
私たちの長男が生まれたのは
ひまわりが空高く昇った暑い夏でした
輝く子に育って欲しい
そんな願いで一輝と名づけました
体重3300グラム、身長50センチの我が子パパはもう大喜び
朝も晩も一輝のそばを離れませんでした。
ところがかすかな物音にもびっくりする一輝
昼寝をしないのに、夜も寝なかったりする一輝
高熱も出ました
いつしか私の心に
不安の影が忍び込むようになりました
3ヶ月検診の日
身長を計ろうとしたら
足をグッと曲げたまま動きません
「今から反抗心の強い子」保健婦さんは言いました
ある日知人の紹介で名大病院に出かけました
診断の結果はつけられず
専門の施設で訓練を受けた方がよいということでした
見たことも聞いたこともない場所に向かって
電車に飛び乗っていました
青い鳥学園
一輝の足を ひょいと持って逆さに揺らします
パラシュートという身体の反応を見る診察でした
我が子は ただ泣くばかり
訓練の日が続きました
帰り道、泣き疲れて背中で眠る我が子の重さに
後から後から涙が出ます
思えば長い道のりでした
2
龍平は予定より3週間早く生まれました
帝王切開でした
双子の兄の方は亡くなり 龍平も危篤状態が続きました
私は何も知らず ただ子どもに会いたい一心で
傷口を抑え 未熟児センターに向かいました
体中に管をつけた枯れ木のような赤ん坊が
保育器の中にいました
1385グラムの我が子でした
「授乳の時間です。これから赤ちゃんをお連れしますので 廊下に出てお待ちください」
アナウンスが病棟に響き渡り 廊下は賑やかになります
私は一人病室
母乳は溢れるほど出るのに
面会用ガラスの向こうには龍平がいます
我が子は私をじっと見つめています
まるで母親であることを知っているかのように
長い間 じっと
39日後 龍平は保育器を出ました
2ヶ月後遅れの親子三人の生活
どんなに待ち望んだことでしょう
可愛く いとおしく 何よりの宝物
でも龍平は
右手でおもちゃを握れない
龍平はお座りもできない
診断の結果は脳性麻痺
龍平が1歳になる少し前のことででした。
はばたき
3
私の子どもも脳性麻痺でした
希望が丘学園の検査結果に
どうしていいかわからなかった私でした
すぐ始まった機能訓練で
泣きわめく絵理を見て
私もただ泣くばかりでした。
「お兄ちゃんはどのくらい訓練したら歩けるようになったの」
幼い絵理の問いに
たじろいでしまった私
やがて母子通園施設ポッポの家に通うことになった絵理
そこで
同じ悩みの母親たちと出会うことができました
心を開いて悩みを語り
聞いてもらうことで
どんなに慰められたことか
やがて我が子は
関養護での生活を始めたのです
毎日が精一杯の私に
ここでも一緒に通うお母さんたちが
「卒業後のことを考えよう」と声をかけてくれました
グループたんぽぽの誕生です
手作りバザー、積み立て、着々と進む準備
そして私たちは
法人化の話にあった「いぶき」に合流することになりました。
いぶきまつり、バザー、音楽会
絵理はいぶきとともに歩み始めました
4
我が子の就学の時期
親の悩みは尽きません
養護学校か特殊学級か
我が子の性格に合うのはどちらだろうか
できることなら校下の学校に通合わせたい
生徒の人数はどれくらいだろうか
悩みに悩んだ末
特殊学級の方が良いような気がしたのです
3回の見学
担任の先生のお話を聞き
一緒に遊んでもらい
運動会にも飛び入り参加しました
「この様子なら一緒にやっていけるよ」
先生の言葉に励まされた私たち
そして
教育委員会からの連絡は
養護学校に行くようにということでした
私は親としての気持ちを言いましたが
聞き入れてはもらえませんでした
校長先生は言いました
「無理に入れても何かあったとき責任は取れませんよ」
私たちは親としての気持ちを言いましたが
聞き入れてはもらえませんでした
5
学校生活はりょうじにとって
とても楽しい日々でした
けれども
りょうじは高校を1年残して
いぶきへ通うことを決めました
りょうじの進路は
私たちが決めてやらないといけないからです
「学校辞めていぶきへ行く?」
そう尋ねると
「いぶきへ行く」と答えます
りょうじがこの街で暮らすには
いぶきが必要なのです。
考えなければならないことはたくさんあります
いつまで我が子と一緒に暮らせるのか
我が子は果たして新しい環境に順応できるのか
私の手元に置くだけで良いのだろうか
考えなければいけないことはたくさんあります
夢
6
「お父さん、はい」
普段はあまり父親に話しかけない我が子
満面の笑みをたたえて封筒を渡します
生まれて初めての実習の報酬
「わー、兄ちゃんの給料」「いくら入っとる」
騒ぐ弟、妹
「感情してみなわからん」
おもむろにお札を並べます
5000円
我が子は 自分の名義で貯金通帳を作るといいます
「たくさんたまったら鉄筋の家を建てる」
「わー、すごいや兄ちゃん」「かっこいい兄ちゃん」
騒ぐ弟と妹につられて
「鉄筋の家が立ったら お父さんとお母さんと3人で暮らそうね」
私の言葉に我が子は反論した
「違うよ お母さん。僕とお嫁さんと赤ちゃんの3人で住むんや」
思わず私はお父さんと顔を見合わせてしまいました
今 我が子はいぶきで黙々と働いています
楽しみはテレビでの野球観戦
枕元には月刊ドラゴンズ
7
おやじとして
おまえにかける夢がなかったわけではないけれど
酒に逃げず
グチもこぼさず
あるがままを受け入れる潔さを
お前が私に教えてくれた
だからお前に約束しよう
生きている限り
必ず お前を守ってやるぞ
8
コスモスの咲く堤から
私の夢が大空へ
鮎子の笑みに励まされ
清流をたくましく登る鮎に
願いを託したあの頃
父は人生の全てを
鮎子にかけた
朝3時半からの新聞配達
魚市場の深夜作業
昼間の親子3人の訓練
励まし
声掛け合い
眠気を吹き飛ばし
歩み続けた14年
鮎子とともに生きた10年
9
この街に
どっしりと根をおろす私たち
この街に
住み続ける私たち
この街に
夢よひろがれ
どんどん
どんどん
どんどん
どんどん
どんどんひろがれ