狩野さんへのメール

昨日の帰り道、ふと頭に浮かんだことがありました。
とてもとても恥ずかしく、後悔がつのること。
なんで気がつかなかったんだろう…。
そして今日、差し上げた一通のメール。
送り先は、先日のコンサートで心にしみる篠笛の音を聴かせてくださった狩野泰一さんです。
その文面、ここに転載します。
「狩野泰一さま
連日申し訳ありません。
少し甘えてメールさせていただきます。
実は先日のコンサートの後、後悔したことがあります。
第二いぶきの利用者さんで荒田さんという最重度の障害で寝たきりの方がひとりおられます。
なんとかコンサートに参加できないかと思ったのですが叶わず、結局ケーキとともに当日の様子を伝えにいくことしかできませんでした。
後から思いついたのですが、懇親会の時に皆様が「よければ明日、第二いぶきに…」とおっしゃってくださったときに、荒田さんのお宅に立ち寄ってくださるようお願いをすればよかったと…。
どうしてあの時に思いつかなかったのか、皆様との楽しい時間に浮かれて、彼のことまで思い及ばなかったことがとても恥ずかしかった次第です。
つきましては、狩野さんにお願いがございます。
これから時々狩野さんも岐阜にお越しになると伺いました。
もしよろしければ、その際に、30分ほどのお時間をいただくことはできませんでしょうか?
荒田さんに皆と同じ笛の音を聴かせてやりたいと思います。
誠に勝手な、不躾なお願いとは承知しております。
決してご無理を申し上げるつもりはごございませんが、もしご一考いただく余地がございましたら、受け止めたいただければ幸に存じます。
どうぞよろしくお願い申し上げます。
ご多忙な折、長文お付き合いいただき恐縮に存じます」
そうなんです。
次の日、狩野さんや中西圭三さんはスケジュールの余裕があったわけで、もしお願いすれば引き受けてくださった可能性が大きかったと思います。
もしお願いすれば…!
そこに思いが繋がらなかったのがとても悔しいというか恥ずかしというか…。
いかんなあ、俺…と本当に思ってしまいました。
実は過去にも、何回か同じようなチャレンジをしたことがあります。
ニューヨークで松井秀樹と食事をして一緒に飛行機で帰ってくるという社長さんに、松井選手を敬愛する利用者さんに一目会ってやってほしいという便せん数枚にわたる手紙を預けたこともあります。
いずれも実現はしませんでしたが、少なくとも、「会えるかもしれない」というチャンスを利用者さんにとっての素敵なひとときに結びつけようとするひらめきというか意識が僕にはあったわけです。
でも、今回の僕には、それがなかった…。
それが、情けなくてしかたがありません。
そのことに気がついた時、明らかに動揺している自分がありました。
せめてもと、
先日お話した時の狩野さんのお人柄と、時々いらっしゃるのであれば不可能ではないかもしれない…という思いでしたためたのが先ほどのメールです。
返事、すぐ来ました。
「喜んで!
岐阜に行くときは、必ず連絡します。
皆にも、会いたいね!」
まだ、ショックはなくなりませんが、
それでも少し救われました。
狩野さん、ありがとうございました。
荒田さん、すごい笛の音だよ。
楽しみにしていてね。
狩野泰一 Yasukazu kano 『Amazing Grace』 篠笛