Collaboration vol.11

個人的な弔事を書くのは少しためらうところもあります。でもその一方で、日々めぐりあう様々な事柄を、どうしてもいぶきと結びつけて考えてしまうと同時にそれを発信していきたいと思ってしまいます。ご容赦ください。
 昨日参列した葬儀は少し遠い縁者のものでした。故人は、斜陽の繊維業界で自分の力を思う存分発揮する仕事に恵まれなかった方でした。亡くなる直前、混沌とする意識の中でうわごとのように昔の仕事の指示をだしていたとのことでした。それは本人が一番生き生きと思う存分力を発揮できていた頃の場面とのこと。そのやりがいからかその後の無念さの表れかはわかりませんが、きっとその頃のことを思い出していたのではないかと奥さんが話していました。2人は今はないその職場で20年前に出会い結婚していました。
 1年間の壮絶なガンとの闘病生活の後、51歳で他界した故人の顔をみて、なぜか渡辺絵美さんが亡くなった時の顔と重なりました。四日市からの帰りの車中にもふと思ったこと。絵美さんだけでなく、大森さんや佐藤さん、塚原さんも、もしかしたら走馬灯のようにめぐる景色の中にきっと第二いぶきでの時間も含まれていて、それを思い出しながら病気と戦っていたのかもしれないなあと。
 充実した死(適切な表現かはわかりません)は充実した生の裏返しだと聞いたことがあります。若くして旅立たねばならない人にそれがあてはまるかは疑問でもあります。ですが、自分自身が輝いていると実感(やっていることの質や量や、他人からの評価ではなく、自分自身が感じることが大切なのでしょう)できる時間は最後の最後までかけがえのないものなんですね。もちろん家族との時間やいろんな人生の場面があるわけですから、第二やコラボが一番でなくてもいいんです。でも、私は、「ここ」が、仲間一人ひとりにとっても私たち職員にとってもそういう場所のひとつ、そういう時間の一部になるようにしたいと思います。