Collaboration vol.31

主語は私であって、私たちではないこと。文末は、じゃないかなあ、とか、~と思っ
たりする、とかいったあいまいな表現ではなく、~ですと言い切ること。全体は適度
な長さ。でもひとつの文は短く。同じことを繰り返さない。そして、相手の目を見て
はなすこと。・・・・北川自身も悪い見本みたいな話し方をするときがありますね。特に
不安なとき。それでもなんとか格好や体裁を整えようとするとき、などなど。思い出
すと赤面します。
 さて、本題です。こういう条件を出された上で、こんな質問をされたらどう答えま
すか?
「あなたは何のためにいぶきで働いていますか?」
・・・急にいわれても困りますか? でも、この問いにしっかり向き合ってみませんか?
 いろいろな答えがあると思うのです。楽しいから・・、仲間の笑顔に会えるから・・、
お金を稼いで家族を守るため・・、仲間の支援をしたいから・・・・。でもふと現実を見た
とき、なんだか今ひとつやりがいもって楽しみきれない閉塞感、仲間は笑顔でも家計
を預かるお母さん方は曇り顔、給料カットや人員整理があったら家族なんて守れな
い、おまけに利用料が高くて仲間がこれなければここで何の支援するの?・・・・それっ
て、全然達成されていないじゃない!それでいいの?・・・・こんなことが頭をよぎりま
す。  
 何のためにいぶきで働くのか。その答えがはっきりすればするほど、この法律にそ
れが壊されそうになっていることに腹が立ってきます。悔しくなってきます。夢や思
いだけではなくて、お金や雇用という生活の基本になるものすら壊されそうになって
いるわけです。なぜ?という思いがどんどん強くなってきます。
 やっぱり、私たちは当事者なんだ。いや、私は当事者なんだという事実を見つめて
みる必要があると思うのです。スタート時点の主語は「私たち」ではなく、「私」と
いう一人称でいきませんか。すると誰かが助けてくれるかもしれないという思いが小
さくなって、同時に不安が増してきます。その結果、自分の思いをひっこめてしまい
そうになる。でも、それを頑張って出してみる。お互い出し合ったときに、初めて主
語は「私たち」になって、とっても強いチームになっていけるのだと思うのです。ま
ずは思いから。そしたら行動はいくらでもできる。
 北川は当事者です。だから悔しいし腹が立っています。なんとかしてやろうと思っ
ています。でも、もう一度、何のためにいぶきで働いているかということに向き合っ
てみようと思っています。きっともっと理不尽に思えることがいっぱい出てくるんで
しょうね。そうしたら、もっと頑張らないわけにはいかない。
 ところで、あなたは当事者ですか?