風呂の天井に

思わぬ腰痛で寝込んでしまったり、
PCにむかう時間も最低限にしたりすると、ついつい後回しになってしまうブログ更新です。
いつもと少し違うパターンで暮らしてみると違って感じられることがあります。
腰が痛くて、ひとりでなんとか苦労して風呂に入りながら思いました。
置き換えてみた立場はふたつ。
抱きかかえなければ風呂にはいることができない我が子がいる親の立場。
つまり腰が痛くて、障害のある我が子を風呂に入れてやることができないという場面。
そして、もうひとつの立場は自分が障害があって一人では風呂にはいることができない立場。
どちらも、一時的なものではなくって、これからずっとそういう状態が続くとして
ボクはそういう障害のある方といぶきですごしています。
仕事として、ボクはどちらの立場とも向き合っています。
どちらの場面でも、障害のある人自身を中心に置き続けようと思っています。
でも、今回、動けない状態で風呂に入ってみて、少し考えたことがあります。
気持ちいい風呂に入れることと
幸せな気持ちになれる風呂の入り方はちょっと違うかもしれないということ。
その違いは、
風呂の場面だけではなく、いろんな暮らしの場面、生き方の場面にも当てはまるかもしれないと思いました。
ここではうまくまだ言えません。
でも、風呂の天井みあげながら考えた「幸せ」
ちょっとヒントをもらった気がします。
さすがに、風呂の写真はないので、ふと目に入った一枚。
毎日毎日、違う色が生まれてくる百々染には、こんなタグがついています。
同じ日は二度とこないわけだから
今日は今日で真剣に生きなきゃとおもった次第。
まじめに考えゴトするお風呂も、なかなか楽しいものでした。
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