間合い

夕方、第二いぶきのスタッフが集まってビデオを見ました。
こんな感じで…。
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地べたにおいたテレビがちょっと品がないですが…見ないでください。
ちなみに、品があるっていうのは大事!というのは、29日のブログでも触れたアトリエコーナスの白岩さんと意気投合し盛り上がった大事なポイントです。
ビデオの話に戻って…
イメージを共有することは、いろんな議論をすすめる上で不可欠だと思っています。
それぞれが、それぞれのことを思い出しながら、
あるいは、見たこともないものをそれぞれが想像しながら議論してすれちがうことのなんと多いことか。
日々同じ職場でシゴトをしていても、少なくとも「自分がイメージしているとおりのことを相手も絵描いてくれるとは限らない」という前提のもとで、それをすり合わせる「導入の一手間」を意識することが大切だと思っています。
実は、議論を聞きながら同時に別のことを考えていました。
思い出していたことは、この8月に、神戸芸術工科大学の曽和先生にお越しいただいてRTV(リアルタイムビデオ)の撮影&レクチャーをしていただいた時のことです。
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第二いぶきで撮影したRTVを観た後、スタッフのひとりが「あともう数秒見たいというところで場面が切り替わってしまう」という感想を述べました。
それに対して曽和先生は、それはそういう意図だと…。
そのココロは…?
そのカットの先にある場面を思い出す、想像する、考える「余白」を残すということ。
そこから次のコミュニケーションが生まれてくるとボクは受け取りました。
記録とドキュメンテーションとの違い。
余白や空白、あるいは「コトバの間(ま)」や「行間」をわきまえながら活かした向き合い方をしたいなあと思います。
でも、なかなかムズカシイ。
伝わっているか確認したくてついつい深追いしてしまうこともあります。
逆に、感じないのはアナタのせい…と他責に逃げてしまうこともあります。
次につなげるための「無」
「無」を生かすための「実」
今日は、少し難しくてブレてます。
ぶれている自分もまた真実ということで…。
ちなみに曽和先生の撮影カットの目安は6秒間。
意識してみると、なんとも絶妙の「間合い」だと思います。