〜ねこの約束物語
名古屋から電車で20分。JR岐阜駅の改札からほど近いところに「ねこの約束」というお店があります。「ねこのかりんとう屋さん」としておなじみのこのお店は、社会福祉法人いぶき福祉会が運営しています。かりんとうと並ぶ看板商品は招き猫の形をしたマドレーヌ。お店ができる2年前、今から7年前にいぶき福祉会で誕生しました。当時はこのネコがその後のいぶきのあり方さえも変えていくことになるとは思いもしませんでした。この出会いをきっかけに、わたしたちは作業所の仕事づくりの中で大切にしなければならないことをたくさん学びました。
これはささやかなモノづくりの物語から、そこからさらにひろげようとしている「コトづくり」の物語です。
第1章 招き猫マドレーヌの誕生〜うちにネコがやってきた
(1)出会い前夜
いぶき福祉会は「働く」ことを大切にしてきました。1985年いぶき共同作業所開所以来の作業は、紙袋に取っ手となる紐を通す作業。近所の工場からの下請けの仕事でした。工賃は紐を一本通して75銭。それは当時も今も変わることはありません。バリバリとこなす人もいましたし、細かい作業をするのが苦手だったり、工程が理解できなかったりして職員と一緒にゆっくりととりくむ人もいました。そこはとてものんびりと和気あいあいとして、それぞれのあり方がとても大切にされているとても平和な空間でした。
自主製品づくりにも熱心にとりくんでいました。開所した翌年にはかりんとうが誕生します。紐通しの下請け作業が苦手な人ができるクッキングのような形で始まりましたが、その基本的な製法は20年経った今も、大きくは変わらずに引き継がれています。その後も縫製品やクッキーなどなど、利用者がやりやすくて、バザーで買ってもらいやすい商品づくりにとりくんでは絞り込み、また作ってみることをくり返してきました。
1999年に、増え続ける利用希望者の活動の場所として「第二いぶき」ができます。とくに増えてきていたのは重度の身体障害と知的障害の重複障害のある人たちでした。ここでは下請けの軽作業にとりくむ一方で、自主製品のひとつとして草木染をしていました。この草木染は、いつか障害の重いわが子の仕事になるかもしれない…と、保護者の方々が習っていたものを職員が教わりながら始めたものでした。これが後に「百々染」として大きなチャレンジにつながることになるとは思うはずもありませんでした。
その後しばらくしてから、第二いぶきでも製菓への挑戦が始まります。製菓の作業に携わることができた利用者はたった4人。不安いっぱいでの始まりでしたが、その時せめてもとこだわって入手した素材が岐阜県飛騨地方でつくられていた希少バターでした。上質で物語性がある素材を使うことは、自信を持って商品を扱うことにつながると考えたからでした。ちょうどその頃、これからの作業所では、市場に通じるような商品開発が必要になるという意識をいぶきに投げかけ続けてくださるデザイナーとの出会いがありました。焼菓子の試作をしては、その方にお届けして感想を返してもらう。そんなお菓子工房の始まりでした。
一見ばらばらのカード。でもその絶妙な交じり合いが、招き猫マドレーヌの誕生につながっていきました。
(2)ネコきたる
草木染のタオルハンカチや、パウンドケーキを作りながら、どうしたらもっと売れるようになるかと夢見るような模索をする中、「(当時まだ開港して間もない)中部国際空港で草木染を売りたい」そんなことをつぶやいた職員がいました。今思えば、その一言から大きく何かが動き始めたのかもしれません。空港のある常滑市は、日本一の招き猫の陶器の生産地です。当時招き猫を活用した町おこしにとりくんでいて、そこに先のデザイナーも関わっておられました。そこで考案されていた常滑焼の伝統工芸士の技術を活かしたシリコン製の招き猫の立体型は、高価な金型をおこさずにオリジナル型が作れる画期的なものでした。にもかかわらず常滑ではそれを使ってお菓子作りにとりくむ人が現れず、そのままお蔵入りするかという事態になっていました。そこで、声がかかったのがいぶきでした。いつも届けられるあのこだわりのバターの風味が忘れられず、「もしかしていぶきならやってくれるかも…」と思ったそうです。
まずは挑戦したいと二つ返事で意気込むいぶきに届けられたものは、今まで見たこともない分厚いシリコンの型でした。その4時間後には、試作第1号が並んでいました。その表情がなんともかわいらしくて、思わず撮った一枚の写真に記録された日時は、「2007年2月20日19時13分56秒」。
セレンディピティ。求め続けることで出会いやすく、信じ続けることで叶いやすくなる。招き猫マドレーヌはそんな「必然」から生まれたものでした。人を惹きつけたバターと招き猫のデザインとていねいな手作り感。それを目にするお客さんとのやりとりで、いい商品はいい人との出会いをつくってくれると気付き始めたのはこの頃でした。招き猫は縁起物。そしていつかこの猫が願いを叶えてくれればとの気持ちをこめて、みんなで「ねこの約束」という名前をつけました。
(3)ネコにも超えられない壁はある
招き猫マドレーヌはわたしたちの予想を超える反響でした。2008年、きょうされん自主製品コンクールで金賞をいただいたり、新聞や雑誌にも掲載が続いたり。順風満帆のように思われましたが、早々に壁にぶつかることになりました。当時の生産能力は一日頑張っても200個あまり。大口の注文があればとても対応できるものではありませんでした。せっかく売れるんだから、頑張って作らなければならない。そうして職員も利用者も次第に生産に追われるようになっていきました。厨房を改修したり機械を導入することもできず、日々に追われるうちに、二次障害の懸念や疲労の蓄積なども目に見えるようになってきました。これだけ売れて自信を持てるようになってくる一方で、どこか売上の数字だけでは満たされない気持ちも抱えながら、このまま作っていたら、気持ちも身体も壊れてしまう。はたして、これはわたしたちが望んだことだったのだろうかと、そんな葛藤に包まれるようになってきました。
やがて、ひとつの大きな判断をすることになりました。ここではもう作れない…。ただ、わたしたちの選択は「出来る範囲でぼちぼちやっていこう」というものではありませんでした。もっと仕事をバリバリとやれる事業所に生産拠点を移転させることにしたのです。関わっていた4人の利用者と2人の職員には、せっかくここまできたのに、せっかく誇りを持ってシゴトができるようになったのにといったいろんな思いが交錯しました。でも、招き猫マドレーヌをもっとたくさんの人に届けられるように、別のメンバーに夢を託そう。ここまで育てて価値を作ってきたのは自分たち。そのご褒美は人とのつながり。パイプがあれば、あとはそこに何を流すか。そのつながりは残っているのだから、じっくりもっと育てよう。そう自分たちに言い聞かせたのでした。
2009年春、招き猫マドレーヌの生産拠点は、第二いぶきの小さな工房から、工賃アップの補助金で整えた新しい工房へ移っていきました。
(4)モノづくりでいこう
招き猫マドレーヌを作ることを通して決心できたことがあります。それは、いぶきの仕事の軸はやっぱり「モノづくり」にしようということです。それも普段使いのモノ、日常の暮らしの中にあるモノを作ることです。それは、モノを作ることには四つの意味があると思うようになったからでした。
ひとつは、「所得保障の手段」です。作った商品を販売して、お金を稼ぐことです。残念ながら今の日本という社会では障害のある人もお金がなくては生きていくことができません。
ふたつめは「ひとりひとりが自己実現と社会的役割を果たす手段」です。やりがいとか誰かのためになることと言うこともできます。それは仕事に誇りをもつことにもつながります。
三つめは、「商品を通じて伝えたいことを伝える」ということです。モノは人から人へ渡ります。多くのメディアを通じて知ってもらう機会も増えます。デザインやパッケージを大切にする理由は、それによってお客さんに手に取ってもらいやすくなるからです。商品力があればあるほど、人から人へと物語が伝わりやすくなります。招き猫マドレーヌには三つのチャンネルがあります。ひとつはお菓子、もうひとつは福祉の商品、そしてもうひとつがネコです。とくにネコのチャンネルは強力です。いろんなドアからいろんな人が訪ねてくださります。
そこで四つめは、「人とのつながりを築く手段」です。買ってもらうこと、お話することで、いぶきはこれまでにない、いろいろな方とつながることができました。わたしたちは、障害のある人の人生を支えることが目的です。だから長くじっくり向き合ってもらうことが大切だと思っています。わたしたちは、人との出会いを重ねていくことを「縁紡ぎ」とよんでいます。
こうして、この四つの仕事の意味に気づいてから、いぶきでは企業からの下請け仕事をやめました。もちろん簡単なことではありませんでした。やめられない(やめない)理由は二つです。ひとつは代わりに何をしたらいいのか。あるいは作った自主製品が売れなかったらどうするのかという心配です。でも、それは作業所の職員が考えなければいけないこと。そもそもそれを職員の役割として位置づけられていないことが作業所自体の問題でした。もうひとつの理由は、利用者がせっかく慣れてできるようになったことを取り上げてしまっていいのかということ。もちろん利用者の気持ちはとても大切です。それを「取り上げる」ことは横暴だと思います。ただ残念ながら、おそらくその仕事は利用者さんが「選択」したものではありません。利用者が「一択」の仕事に向き合いながら折り合いをつけ、職員はそこに疑問を感じないまま工夫と努力を怠る形になってしまうのは、作業所にとっての不幸だと思っています。だからこそ、できるようになったことや仕事に対する思いを活かせる仕事を、一緒に考えることが大切だと思ったのです。
第2章 次につながる気づき〜壁の隙間からネコがみていたもの
(1)おらが街のクラブチーム
岐阜にもサッカーJリーグのクラブチームがあります。実はクラブ誕生からずっと、「縁起物の招き猫が、福と勝利とお客さんと、そして夢のJ1昇格を招きますように」と、第二いぶきの仲間たちがホームゲームの前日に選手たちに招き猫マドレーヌを届けています。
勝敗に一喜一憂する利用者を見ながら、わたしたちに今までなかった感覚に気付くようになりました。ふり返れば、わたしたちはいつも「〜してください」と言い続けているような気がするのです。わたし=してもらう人、あなた=協力する人。求めるばかりの関係です。同じ町に暮らす人同士で、おらが町のクラブチームを応援するように、この街をどうしたいということを、純粋に地域の一員として語り、役割を担う。その気持ちがなんだかとても薄らいでいることに気が付きました。
ホームゲームのスタジアムで、全国から押しかけてくる相手チームのサポーターの姿を見ている地域の人が、「クラブのおかげでこの街も少しは人が来てくれる…」と話したことがあります。いぶきもそうなりたい。いぶきがあるおかげで岐阜の街が元気になった。いぶきのおかげでな…と言ってもらいたい。作業所は地域にとって大切な役割を担うことができると確信し始めました。
(2)福祉課じゃなくていいんですか?
作業所が地域の中で担うことができる役割。そんな意識を後押しする機会が突如やってきました。招き猫マドレーヌのファンでもあった方が、雇用関連の補助金を活用して、駅にお店を出さないかという話をくださったのでした。行政やまちづくり、商業ビルを運営する方々へと次々と話がつながり、JR岐阜駅の中央改札からほど近い一角への出店がトントン拍子で進みました。障害者の授産品販売拠点の整備という色合いが前面に出たこともありましたが、わたしたちの中で軸となったのは、むしろこの店を通して地域を元気にしたいということでした。ですから、障害福祉の担当課とともに商工労働・地域産業活性の担当課の方々とのやりとりが日々続きました。そこに並ぶ商品は、作業所の商品であろうとあくまで「県産品」であり、お店はその販売と発信の拠点。作業所はメーカーのひとつにすぎません。そのメーカーで大切にしていることのひとつが障害者福祉の視点だった…という図式です。いぶきは社会福祉法人だから福祉課とやりとりしなければならないという思い込みから抜け出し始めていました。
(3)新しいつながり方ネコの居場所
こうして2010年4月に誕生した「ねこの約束」のお店。そこを軸にした人とのつながりは多様でした。福祉を応援する人たちはここでの商品販売で売上と誇りに思いを込めるようになりました。かりんとうを純粋においしいと思い、招き猫マドレーヌをかわいいと手土産にする人が人を呼ぶようになりました。
岐阜県はモノづくりが盛んな地域です。陶器、木工、和紙、刃物、竹細工、プラスチック、酒などの食品といった地場産業の中小企業がひしめいています。そして、決して楽観できない現状をなんとかしようとする意識をもっている企業ほど、自社の利益と同時に地域の元気の必要性を理解しています。この町が元気でなければ自分たちが幸せになれるはずがない。岐阜はモノづくりが盛んなのだから、それを軸に10年後20年後のために今何ができるかを考えなければならない。そんな語り合いがされる中に、「ねこの約束」も次第に仲間に入れてもらえるようになりました。
そこで初めて気づくこともあります。とかくわたしたちは作業所の仕事づくりは特別なものと考えてしまいがちです。でも、地場の中小企業の抱えている課題と実は大きな違いはありません。むしろ恵まれているぐらい。自分たちのことを考えることは地域のことを考えること。それをホンキで考えている人がたくさんいるということがだんだんとわかるようになりました。
(4)新しい軸
いぶきの理念のひとつは「どんな障害のある人も、安心してゆたかに暮らせる地域を作る」ことです。障害のある人をどうするかではなく、地域づくりにとりくむことがみんなの幸せにつながると考えています。それでもどうしても「障害のある人にこうしてほしい」という気持ちが前面に出てきてしまったりします。
ただ、仕事づくりは難しく思えるかもしれないけれど、地域づくりはもともとやりたかったこと、そして得意なことのはずです。利益をあげ、数値目標を追い続けることを至上とすることへの抵抗感はなくなりませんが、目的はそれではなく、地域を作るということだと視座を変えてみるだけで、肩の力がすっと抜けていくような気がしてきます。
招き猫マドレーヌをつくる過程で、わたしたちは仕事の意味は「所得保障」「やりがいと誇り」「社会発信」「人とのつながり」の四つあることに気がつくようになりました。そしてそれを新しい他の仕事づくりの条件にもしてきました。でも、それはまだまだ、あくまでわたしたちにとってという内向きの話にすぎませんでした。その段階を第一ステップだとするならば、ねこの約束から始まった第二ステップは、ベクトルの向きがまるで反対です。「わたしたちはこの町に何ができるのか」ということです。
わたしたちだからできることがあるのではないだろうか。そういう思いから、いぶきの仕事づくりの軸がまた新たに加わりました。それが「かけがえのない存在」というものです。
第3章 かけがえのない存在
(1)3つの輪と5つの手
「かけがえのない存在」とは、ただ代わりのいない大切な人という意味ではありません。あなたがいないと困るんだと周りから求められることと、あなた自身が自分がいないと周りが困るんだと自覚するというふたつの関係がきちんとそろっている状態のことをいいます。わたしたちが仕事づくりを考える時に、そういう社会や周囲との関係性を大切にしていこうと考えました。
個人が作業所の中で、そして作業所が地域の中でかけがえのない存在であることを大切にしていくことで、一人ひとりが地域の中で認め合える存在になるのではないかと思っています。そのために、個人と作業所がどうあればいいのかを考えてみました。その先におのずと「わたしたちがこの町にできること」が形になっていくのだと思いました。
まず、個人と作業所との関係です。ある人が休んでしまったとします。その時に作業所では「困ったなあ、◯◯さんがいないとあの仕事は誰がやるんだ?」とか、「来てくれると助かるんだけどなあ」という思いがめぐるでしょうか。あるいはその人は「わたしが休むと◯◯さんが困るから、行かなくちゃ…」という気持ちが湧いているでしょうか。たくさんの作業量をこなせるかどうかではありません。ひょっとしたらその人の存在や後ろ姿を見せるだけでも作業所の空気が変わることは珍しいことではありません。そういう役割がきちんと一人ひとりに明確で、位置づけられていることを意識するだけで、いろんな仕事が生まれてきます。
つぎに作業所と地域との関係です。作業所が地域の中でできることは実に多様です。多様すぎて何がしたいのかがわからなくなってしまっているところもあります。それをわたしたちは五つの手といいます。作り手、買い手、売り手、伝え手、繋ぎ手の五つです。
規格外の野菜や果物をていねいに加工して作ったジャム、機械による大量生産では出せない食感のかりんとう、生産者が離れ荒れ放題だったところを根気強く手入れして摘んだ在来種のお茶などなど、人と場と時間をかけるわたしたちだからできる「作り手」としての役割。関係者や支援者だけではなく公的機関や企業などから協力いただける結びつきがあるからこそ可能な「売り手」としての役割。そんなわたしたちの活動そのものが記事になったり、あるいは後援会といった支援者ネットワークの「伝え手」の意味、そしていぶきでいうなら利用者と職員あわせて毎日250人が活動する事業費をはじめとする「買い手」としての効果、そして何より、モノ・人・場・コトを介して交流を生み出す「繋ぎ手」としての役割です。
例えば岐阜という町の中で、いぶきやねこの約束が、「あなたたちのおかげでね」と言ってもらえる場面がたくさんあり、そのいぶきの中では一人ひとりが頼りにされて、役割と居場所を感じることができる。その一人ひとりは、きっと岐阜の町で当たり前にゆたかに安心して暮らすことができ、自分たちも主人公だと思えるのではないだろうか。そんな気がしています。
ところで、「かけがえのない存在」は作業所の利用者だとは、実はひと言もいっていません。地域の一員、作業所の一員という観点からするならば、利用者も職員も関係ありません。利用者も職員も誰もが、かけがえのない存在でありうるための仕事づくり。それは障害の程度や種別やできることで線をひかない「仕事」のあり方の追求です。これが、いぶきのもうひとつの挑戦のカタチです。
第4章 障害の重い人のシゴトづくり
(1)草木染から「百々染」へ
第二いぶきの草木染は、保護者が「いつかこの子たちの仕事になるように」と職員に提案をしてくれた商品でした。その販路拡大の議論が、招き猫マドレーヌ誕生につながっていったことは先述のとおりです。
当時の草木染は、近くで採ってきた刈安や栗や桜などの植物、藍や茜といった仕入れた染料などを使ってタオルハンカチを職員が利用者の手をとりながらゆっくり浸して染めるような作業でした。すこしずつ染めるので、染める人や日によって濃淡やムラがでてしまい、なかなか色合いをそろえることができませんでした。考えてみれば草木染は素材や時期、染め手によって色や風合いがちがって当たり前のものです。それを一定の枠の中に、しかも利用者の個性を抑えこむような方向で作ってよいものができるわけがありませんでした。それでも、工業製品に迎合するようなイメージを基準に、一定の規格内に収めようと「努力」を続けていました。あわせて、最重度の障害のある方が、おだやかに楽しみながら作る活動は続けていきたいと思っていました。あとは、売れる商品にしたい。そんな中で、2011年12月、第二いぶきで染めた草木染のタオルハンカチは岐阜県産品のテストマーケティングで東京のインテリアセレクトショップに並びます。当時の品質ではちょっと考えられないようなチャンスなのですが、それは、招き猫マドレーヌと「ねこの約束」で築いたネットワークがあってのことでした。ところが、2週間での売上は7枚。今後の展開の可能性に対する評価は事実上「不適」相当のものでした。あきらめるしかないのか…そんなわたしたちに思いがけない機会が与えられました。これまでのように民間企業と障害者施設の商品を分けて考えるのではなく、ひとつの県産品の枠組みのなかで、開発の支援をしていく方針を岐阜県が示したものでした。それはこれまでのいぶきのモノづくりの考え方が認められたことを意味していました。そうして翌2012年の岐阜県商品開発支援事業で「百々染」誕生への道が始まりました。
(2)百々染の原風景
「世界でたったひとつの草木染〜いろんな人がいろんな色でつながりますように」
これが百々染にこめられた思いです。そこには、作り手たちがさまざまなカタチで草木染の作業にかかわっている様子が浮かびます。同じ色がふたつとないことを、喜び合う風景があります。
あるとき、あるモノづくりのアドバイザーの方が、草木染の工房を見てこんなことを言いました。「これだけ手間と時間をかけて、これだけひとつひとつ違うものが日々生まれてきて、作り手が一生懸命、しかも楽しそうにモノづくりをしている現場なんてそんなにたくさんあるものじゃないね」しかも、染めている様子だけではなく、散歩の途中で季節の草花を採ってきていること、庭の花を持ってきてくれる地域の人がいること、どんな色が出るかやってみないとわからないことなど、いろんなことが、まさに「ありえない」ことの連続だったそうです。「みなさんは、すごいことやっているんですね」としみじみと言ってくれました。
第二いぶきにとっては、ごく普通の日常の風景。楽しいし、のんびりしているし、とてもモノづくりの現場だとは恥ずかしくて言えないレベルだと自分たちでは思っていました。そんななかで先のアドバイザーの方の話は、スタッフにとっては目からウロコがおちる話でした。同時に、それを聞いた途端に、これでいいんだ…と肩の力がすっと抜けたことを覚えています。今まで利用者の仕事のできていないところばかりを探していることに、わたしたち自身が無意識に苦しんでいたのかもしれません。
障害者の作業所に限らず、日本中のモノづくりの現場の人たちが「自分たちの価値に気が付いていない」と言われています。ねこの約束以来つながった地域のメーカーや研究に関わる人たちが、「ここには、他の人が決して真似できない価値がある」と口をそろえて言います。自分たちの価値がわからないだけではなくて、職員が利用者のシゴトの価値を信じていないのかもしれません。
根底からいぶきのシゴトに対する価値観が変わった瞬間でした。
百々染が生まれてからの第二いぶきでは、いろんなことが変わりました。毎朝の散歩は、季節の草花のほころび具合を調べたり、採って集めてくるシゴトになりました。一日5枚しか作れないことは、希少価値なんだと思うようになりました。記念写真でしかなかったスナップ写真は、買い手に作り手の今をつたえる写真になりました。染まり方の違いは、それがひとつしかないことの印になりました。利用者は、一人ひとりの名前と顔がつたわる作り手になりました。支援者ありきの職員は、自らも含めた作り手たちみんなの役割を作り、伝えるプロデューサーになりました。そうやって、工房の風景のひとつひとつが、いろんな人に話したくてたまらなくなる宝物になっていき、そして、草木染の作業室は、みんなのステージになりました。
ステージのテーマは、人もモノも時間も、みんなが「かけがえのない存在」であること。それが百々染の風景でした。
百々染をはじめてお披露目した時の一文に、次のような文言があります。
いろんな人と人が、今日もたくさんの色でつながりますように。「百々染〜momozome〜」にはそんな願いが込められています。
草木をとってくる人、それを細かくちぎる人、染液を煮出す人、お湯をくむ人、布を浸す人、絞りを入れる人、布を干す人、アイロンをかける人、台帳をつける人、写真を撮る人、ブログを書く人、それから…。
今日も、百々染の工房ではいろんな人が、その人ならではのシゴトをして、おだやかな時間が流れています。
…第二いぶきの作り手たちのホンモノのモノづくり
この街で暮らす仲間たちの笑顔あふれるコトづくり
自然の素材で彩った小さな一枚を通して
そんな百々染の風景をお伝えできれば幸いです…
第5章 モノづくりからコトづくりへ
百々染のシゴトづくりは、モノからコトへと、わたしたちの価値感の対象をひろげたのではないかと思っています。価値にならないどころか、ネガティブに決めつけていたことが、視座を変えればとても魅力的に感じられることへの気づきです。
授産商品の発展のイメージを図表1と2にしてみました。簡単にいうと物事は螺旋的に発展するというイメージです。これを授産商品にあてはめた時に、わたしたちは今ステージ3.0にさしかかっているのではないかと思います。ステージ1.0は、福祉を前面に出して、自分たちが頑張って作ったことを商品価値として、同情で買ってもらう段階です。悪いものを販売するわけではありませんが、そこで語られる品質や顧客満足は一般市場の感覚からは大きく異なります。ステージ2.0はそこから抜けだそうとする段階で、市場に通用することが基準になります。ステージ1.0で前面に出した反省から、授産商品であることを出さなくても売れるにはどうしたらよいかが重要視されます。おのずと作り手=障害のある人を隠し、地元産とか、こだわりといった市場でもてはやされる付加価値を追いかけることになりました。結果として価格競争や商品開発競争に巻き込まれ淘汰されることになってしまっています。ステージ3.0は、それでいいんだろうかというふと立ち止まったことがきっかけだと思うのです。もちろん品質は落としませんし、お客さんが欲しいと思えるものでなければいけません。でもお客さんは、作り手の姿や背景への共感や、応援したくなるような一体感、つながりというものを求めてきていると感じています。そして、作業所の現場にはそういうコトが山のようにあふれています。それをていねいに伝えることが、作業所のモノづくりの価値を高めていくのではないだろうとかと思っています。それは福祉を売り物にしたステージ1.0とはまったく違います。とても魅力的なモノづくりの現場が、たまたま作業所にあって、たまたまその作り手が障害のある人だったというだけのことです。
螺旋は上からみると同じ所をぐるぐると回っているように見えます。また時代に逆行しているように思えることでも、視座を変えて、横から見るとジグザグにステップアップしている。わたしたちの現場はそれができると思っています。一般企業が欲しいと思っても持てないような環境や宝物が目の前にあるのに、気づかないのはあまりにもったいないと思うのです。
第6章 ねこの約束〜みんなの幸せプロジェクト
招き猫がやってきてから、かれこれ8年がたとうとしています。この間、実はずっと焦ってやってきたような気がします。障害の重いとされる利用者もたくさんおられる中で、間に合わなかったらどうしよう。そんな気持ちに追われることも少なくありません。
ねこの約束を開店する頃に思いついたフレーズがあります。
「Not win-win relationships,but happy-happy partnerships!」
win-winの関係という言葉が使われるようになって久しくなります。でも、わたしたちのまわりにはあまりそぐわない言葉だと思っています。勝者の横には必ず敗者がうまれます。でも勝ち組なんていらない。いぶきだけがよくても何も意味がない。作業所は日本中にあるのです。
後に、happy-happyという言葉はウォルト・ディズニーが好んで使ったということを知り、少し安心した覚えがあります。ブランディングとは、名前やロゴを決めることではないと教わりました。そこに何をこめるかということ。だとしたら、わたしたちは「ねこの約束」というブランドに、そんな焦りを乗り越えようとする決意とみんなの幸せと希望を、これからも込め続けていきたいと思います。